カテゴリー別アーカイブ: 短歌

山崎方代の足跡。

今日まで仕事がお休みで、子供は保育園。

かねてより行きたかった、歌人・山崎方代(やまざき・ほうだい)の生家跡へ行きました。

昨日、文学館に行って、常設展にある資料に張り付き、夜、酔っ払って方代短歌について力説してたら夫が連れて行ってくれました。ええ人や。

方代さんは、大正3年生まれ。出征して右目を失明し、終戦後は靴の修理をしつつ各地を放浪。

私にも分かり易い口語短歌、ということもあるかもしれませんが、この人の歌が好きで。

甲府南から精進湖へ向かう道の途中に、ぐっと登り切ったあたりが故郷の旧右左口村(うばぐち・むら)。現甲府市です。

◇死ぬほどのかなしいこともほがらかに二日一夜で忘れてしまう 方代

この明るさが好きですが、「二日一夜」には戦争体験を読むべきのようです。

文学と明るさ、暗さについてはまた別の機会に書こうと思うのですが、方代さんの歌は必ずしも明るいわけじゃなく、湛えた暗さがある。

しかし、ふざけてどうでもよいことを詠っているようで、とても詩のリズムが美しい。

計算なのか、天性なのか。

そんなわけでよい日でした。

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現象に遊ばずに

今月は、歌誌の編集作業で慌ただしくしていました。

オンラインストレージサービスを使って、データを共有・同期して作業していたのですが、連絡事項がメールで飛び交うので、最初はそれらを処理するだけでひと仕事でした。

校正が予定外に次々と舞い込んでいて、最後の方は子供を背中に乗せて電車ごっこをしながら紙に赤線を引っ張っていました。 それも無事校了です。

私は前職で新聞記事を書く仕事をしてきて、事実関係に基づいた上で、とにかく簡潔明瞭、すべての話題を中学生でもわかるように書くことを心がけるよう教わりました。決まったスペースの中で表現するために、無駄なものをそぎ落としていった結果、そこに美しさがあったと私は思っています。

一方で短歌というのは、私が親しんできた文章表現とは全く異なり、そもそも人に伝わらないといけないのか?という議論に回帰したりして、最初は非常に戸惑いました。しかしその違いがまた面白く感じられます。

 

新聞記事にせよ、短歌にせよ、言葉を扱う世界にいると、「現象」に引っかかりやすいことがあり、そこに注意をしています。

表現の世界での最高位を目指そうとするあまり、現象を言葉でもてあそぶうちに、その言葉によって却って現象を作り出してしまっていくようなそんなことがあります。

物事の深奥にある本当のことを表現するための言葉であるーそのことを常に忘れないでいただいと思います。

・・ちょっと小難しい表現になりました。

今月は年末の出張が年明けに延期になったので、これからは腰を落ち着けて迎春準備に入ります。

 

何部作っているのかも知りませんが、日本語を愛する者として、趣味の範囲のものであっても、活字となるものには最高の力を注いでいたいと思っています。


新しい挑戦

書きたいことはたくさんあるのですが、更新が追いついていません。

 

ひょんなことから参加している短歌の会の歌誌の編集をお手伝いさせていただくようになりました。

発行は二ヶ月に一度で、校正と版下作りです。

短歌は表現のチャンネルを増やしたくて始めたことで、短歌会も一人でやるよりはうまくなるだろうからと軽く考えていただけなので、

こんな関わり方をすることになろうとは思っていませんでした。

 

以前勤めていた新聞社では、希望の有無にかかわらず、すべての記者に内勤業務である整理部署を経験させるようになってきていましたが、

私は外勤を3部署まわって辞めたので、やっていません。

見出しをつけたり、組み版をする整理部門が向いているとはとても思えなかったので、自分ではラッキーと思っていました。

こんな巡り合わせで、今自分で組み版を経験することになるとは。

でも今までがすべてそうだったように、巡ってくる出来事はいずれ必ず役に立つことなのだと思っています。

 

校正は校閲部署を経験していなくてもある程度自信がありますが、組み版は初めて。

一太郎を使ってのことで、今回任されたのはかなり平易なレイアウトですが、全体の編集の流れや作業方法など覚えることはままあり。

引き受けることになってすぐに製作がめぐってきたので、怒濤のような数日を過ごしていました。

作業は子供が寝ている夜中に限られ、本業も当然あるので、パソコンの前にいる時間の密度がとても濃くなりました。

それでも新しいことへの挑戦にワクワクしています。

 

家族を最優先という原則を忘れず、できる限り、いのちいっぱい一日を駆け抜けたいと思います。