朝型生活

実家の両親は以前から朝が早く、持ち帰った仕事やその日の準備などを朝早くから行っていたものです。

その生活を話すと、よく友人知人に「お豆腐屋さんか何か?」と聞かれました。

太陽と同じように朝顔を出し、夜には寝静まる生活がいい、と言われて育ちましたが、なかなか実行はできませんでした。

フリーター時代や会社勤めのころは夜勤もあって無茶苦茶な生活も経験し、「人間の生活は太陽と同じサイクルがちょうどいいようにできている」と骨身にしみました。

この朝型がよい、という言葉を、私は長く、「健康によく、能率も上がるから」と簡単に理解していました。

 

谷口雅春先生著「生命の実相」7巻、「生活編」の「朝の時間を生かせ」です。

「われわれは無意識の世界ーいっそう大きな啓示の大本源の世界ーからじょじょに意識の世界へと移動しはじめるのである。

まだ無意識の世界から意識の世界への架け橋は落ちていないーこの時間は特に印象深く、いっそう大きな啓示の世界から豊かな啓示が流れ込んで来るのである」(P4)

 

単に能率がよいというだけでなく、「豊かな啓示が流れ込んで来る」。ここにはっとさせられました。

谷口先生は次のP5で「この時間は・・・・われわれ自身以上の英知者からの指導を受けやすいということである」と表現されています。

これはとても実感するところで、文章を書く仕事をしていて、言葉が飛び降りてくるような感覚をもっとも味わうのは朝の時間です。

詩でも短歌でも、朝早くに短時間で完成することが多いのです。

ここ1年ほどは、よほど急ぎでない仕事は、仮に夜に仕上げても、朝もう一度目を通してから完了させるようになりました。

朝の時間の見直しで、致命的な誤りを見つけたり、よいよい形に推敲することができています。

 

「月刊日本」11月号の吉田松陰先生の名辞に、こんな文章がありました。

訳を含め、「月刊日本」P110からの抜粋です。

「毎日定課あり。鶏鳴にして起きてより終日写閲して小斎を離れず、倦めば則ち枕に就く。既にさむれば即ち興(お)き、肯へて枕上に偃仰(えんこう)せず。毎夜必ず行燈を床側に置き、自ら提げて案に就く。陳瓘」(嘉永5年9月「猛省録」大和版全集一巻185頁)

訳;毎日定めた課題がある。明け方に起床してから終日学問をして書斎を離れず、疲れた時には横になる。また目覚めれば、すぐに起きて(学問をし)、横になったままのんびりすることは決してない。毎晩からず行燈を床のそばにおき、自ら手に持ち考え事をする。

 

規則正しい生活の大切さを説いた名辞です。

「肯へて枕上に偃仰(えんこう)せず」

冬の離れがたい床に、つい起床時間が乱れがちなわが身を反省し、なお一層、朝の時間を生かして精進したいと思わせていただきました。

 

 

 

 


朝型生活」への2件のフィードバック

  1. keikoさん いつもありがとうございます。
    いえいえ、恐れ入ります。
    自戒を込めて、書いております^^;

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